![]() |
|
『あと千回の晩飯』 山田風太郎 朝日文庫 600円+税 |
「山田さんは生前戒名を『フーフーインフーフーフーフーコジ』と名づけ」・・・・・・ある日TVから聞こえてきた誰かの声が私の耳をとらえた。戒名って自分でつけられるの? それも風々院風々風々居士だなんて、ずいぶん自由な人なんだな。TVの画面には、自宅の庭を眺めながらウィスキーを静かに(でもかなりなピッチで)飲む老人がいた。
風太郎という字面を見て「あ、この人は『忍法帖』シリーズの人だ」と気付いたのは、私が子供ながら両親の寝室に忍び込み、『オール読物』などオトナの雑誌からちょっとエッチな描写ばかり盗み読みしていたからだ。のちに『くノ一忍法帖』など映画化されたシリーズでもおなじみの流行作家は、ボサボサ白髪頭で酒を水のように飲む、面白そうなおじいさんだった。
2001年に79歳で没した風太郎は多くのミステリーと時代小説を遺しているが、エッセイが断然面白い。なかでも『風眼抄』(中公文庫)にある「春愁糞尿譚」は散歩の途中で脱糞してしまう話で、何度読み返してもふきだしてしまうため電車の中では読めない。しかしこの連載はおいしい文学について考察する項であり、糞尿についてのスペースはそれほど割けないのであった。次へ行こう。
風太郎は「テーブル一杯においしいものをならべたてないと承知しないという、凄まじい美食家」(もっともこれは若干のしゃれを込めて書いている)であり、おいしいもの、気に入ったものについての随筆を多く残している。『あと千回の晩飯』を書いたとき風太郎は72歳だったが、「いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う」と、自らの行く末を見つめながら死生観を語り、毎晩5時から飲みだす自らを「アル中ハイマー」と称し、「もう一食たりとも意に染まぬ晩飯は食わないと志を立てた」。この辺りは気に入らないものを食べると一食無駄にしてしまった、と機嫌が悪くなる私にも大いに共感できるところだ。
そして、あと千回の晩飯をいかに納得のいくものにできるか考えあぐねた筆者は、自らの食日記を参考に千回分の予定献立を作ろうとする。そこでまずは森鴎外、夏目漱石、正岡子規ら明治の文豪たちの食日記を引用し(これがまた驚くほどに貧しい食卓なのだ)、自らの食生活と比較している。ここで風太郎の食日記を抜粋すると――
十二月七日(水)晴れ
【朝】餅がゆ。
【夕】牛肉とピーマンの千切り、鯛の塩焼き、蟹と胡瓜もみ、冷奴。
十二月八日(木)晴れ
【朝】卵入り納豆飯、花がつおかけほうれん草おひたし、鯨汁。
【夕】チーズの牛肉巻き、野菜サラダ、鯛の塩焼き、大根とサヤエンドウの煮物、五目飯。
(主婦不在、留守中の食事として用意せるもの)
十二月九日(金)曇りのち晴れ
【朝】食欲なし。大根とサヤエンドウの煮物、大豆と昆布の炊き合わせ、庄内タクアンとウグイス菜の漬け物。
【夕】鰻のカバ焼き、チーズの牛肉巻き、油揚げの厚揚げ、蓮根の油いため。
十二月十日(土)曇り
朝七時就寝、午後二時起床。従って朝昼の食事ぬき。
【夕】牛さしのサラダ菜包み、合鴨のロースト、えのき茸のうす切り豚巻き、チーズ、餅、芝えびの空揚げ春巻き包み、パンプキンのポタージュ。
十二月十一日(日)快晴
【朝】狐うどん。
【夕】納豆とひき肉のレタス包み、フランスパンとチーズ、まぐろの刺し身、ちくわと蓮根の煮物。
――『あと千回の晩飯』(朝日文庫)
但馬牛で有名な兵庫県但馬の出身ということとは無関係であろうが、この週は牛肉が多い。また何か巻いたり、包んだりする料理が多いが、これは作り手である夫人のクセだろうか。なかでもこの週で2回登場しているチーズの牛肉巻きは夫人の得意料理であり、風太郎の大好物でもあった。
わが家で愛用する料理に「チーズの肉トロ」と称するものがある。例のとろけるチーズを薄い牛肉で握りこぶしの半分くらいに包み、サラダ油で焼いたもので、これをナイフで切って食う。正しくは肉のチーズトロというべきだろうが、語呂の関係で「チーズの肉トロ」と読んでいる。
材料は上等だが、二、三分でできる料理だし、高級レストランなどではまず出てこないだろうから、やっぱりB級グルメの一種といっていいかも知れない。
この料理のことをある随筆に書いてもう十年くらいたつのに、先日も一読者から、数年来「チーズの肉トロ」を食べつづけているがまだ飽きがこないという礼状がきた。
――B級グルメ考『あと千回の晩飯』(朝日文庫)
「これに生野菜をそえ、すったニンニクと醤油で食う」とある「チーズの肉トロ」を一度食べてみたいと思うが、まだ試したことはない。内田百閒の「レモン汁をかけたおからにシャムパン(シャンパン)」や、森鴎外の「まんじゅう茶漬け」など、実際に口にするより目で味わうほうがよさそうなモノモノに比すれば、はるかに実質的においしそうだ。
そもそも風太郎はどうしてこんなに食いしん坊になったのか。それはやはり第二次世界大戦中の飢餓体験に起因するようだ。昭和17年、19歳で家出し、上京した風太郎は沖電気の軍需工場に勤めながら、家の都合により東京医専(現在の東京医大)へ進学する。その間の『戦中派虫けら日記』にはすさまじい食欲が綴られている。
駅前のすし屋で、鮪とあおやぎと海苔のすし一皿を食う。それからフルーツパーラーにいって、おしるこを食う。次に食堂に入って、魚の天ぷら、鰯団子、大根、こんにゃくなどのランチを食う。最後にパン・ケーキ・ベーカリーに入って、ミルクとケーキを食う。
玉屋食堂にて、コロッケ、里芋の煮ころがし、こんにゃく、大根の煮付けをお菜に大丼二杯飯を食う。これでもう満腹の気味である。
が、まだ序の口だと、或るベーカリーで、ミルクコーヒーにケーキを食べる。
そこを出て、或るお汁粉屋に入る。
ここを立ち出でたときは少し腹が痛かったが、負けぬ気で平気を装い、街を歩き、またべつのお汁粉屋でお汁粉を食べる。中の餅がさきのお汁粉屋よりも大きかったので、もう一杯食べる。
散歩ののち、またお汁粉屋に入って、あべ川餅を食べる。「まるで馬だな」と自分が云った。その下に鹿をつけられても、文句のいいようがない。
――ともに昭和17年12月
これだけ食べていて徴兵されたときには身長161センチで体重は44キロしかなかった。毎日大量に食べているわけではないし、なにより食物が粗悪で栄養が不足していたのであろう。この頃のことを風太郎は「しかし私は、現在はもちろんそのころでもむしろ同年代の人にくらべて小食のほうであった。この暴食は、慢性的飢餓の状態におかれた人間の間歇爆発にほかならない」(あとがき『戦中派虫けら日記』)と振り返っている。
モノのない戦中、戦後を過ごした人の物心に及ぶ飢餓感は我々の想像の及ばないところだが、そもそも並々ならぬ食欲や物欲など人並みはずれた欲望は、なんらかの渇きや劣等感などネガティブな要素から発されるものなのかもしれない。となると私のこの食欲はいったい何処から・・・・・・? 考え出すと落ち込みそうなので、やめた。今夜はいよいよ「チーズの肉トロ」を作ってみよう。
|
山田風太郎 Futarou Yamada 1922年、兵庫県で医家の長男として生まれる。東京医科大学を卒業後、24歳のとき「達磨峠の殺人」で「宝石」懸賞小説に入選。27歳で「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で第二回探偵作家クラブ章を受賞。以後「甲賀忍法帖」をはじめに忍法ブームを生み出し、忍法帖シリーズは60年代のベストセラーとなった。私たちになじみ深い作品に映画になった「魔界転生」など。2001年没。八王子市の霊園にある墓には「風ノ墓」と刻まれている。 |
この作品も美味しく読める
『戦中派虫けら日記』 山田風太郎著
|
昭和17年の戦時下で20歳の風太郎青年は日記を書いておこう、と思いたつ。「日記は魂の赤裸々な記録である。が、暗い魂は自分でも見つめたくない。(略)しかし嘘はつくまい。嘘の日記は全く無意味である」 精神的、肉体的飢餓状態にある一人の青年による、昭和17年~19年の3年間の詳細な記録。 |
![]() |
|
『戦中派虫けら日記』 山田風太郎 ちくま文庫 1200円+税 |
『半身棺桶』 山田風太郎著
|
「あまり遠くない日、自分が棺桶に入るときには、この随筆だけを入れてもらうかもしれない」と著者が述懐するエッセイ集。「ほとんど毎日食べていてもあきない」チーズの肉トロはこの作品でも述べられている。ほかに「美食と粗食」、「臨終徒然草」、「風々院風々風々居士の墓」など風太郎ワールドいっぱいの一冊。 |
![]() |
|
『半身棺桶』 山田風太郎 徳間文庫 552円+税 |


